Skylum チームの戦争ストーリー

April 05

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Skylumチームは他の全てのウクライナ人と同様に、戦争の開始以降彼らの生活は劇的に変わってしまいました。

上の写真はロシア侵攻の半年前、2021年夏のブコベルフォトキャンプでのSkylumチームです。それ以来、この写真のすべての人の生活は永遠に変わってしまいました。Luminarの舞台裏にいる人々のストーリーをご覧ください。

2月24日、ロシアの全面的な侵略により、ウクライナ人は生活の全てを切り替えなければならない、人生の岐路に立たされました。多くの人々が海外に避難しましたが、その他の多くはウクライナに残ったり、私たちの国を守るために軍隊や地元の領土防衛グループに加わりました。今回は戦争が始まってから今日に至るまで、Skylumのチームメイトの実体験をお伝えいたします。

しかしその前に、お知らせしたいエキサイティングなニュースがあります。この状況下においても、私たちは皆様のために働き続けます。私たちのチームは少しずつSkylum製品を改善し続けています。今週は、Luminar AI 1.5.2 とLuminar Neo 1.0.4 の2つもの新しいアップデートをお届けできることを非常に誇りに思います。

”優れた全ての製品の裏側にはチームを支える人たちがいます。私は常に私たちのチームの強さを信じてきました。活発な戦地からでも働く彼らの献身と力強い意志は私に刺激を与えると共に、底知れない感謝の気持ちでいっぱいです。パートナーとユーザーの皆様がこれからもビジュアルストーリーを表現できるように、私たちはできる限りのことを続けていきます。”ーSkylum CEO、Ivan Kutanin

Skylum ウェブサイトの最新情報で、 Luminar AILuminar Neoのすべての改良点を確認できます。私たちの仕事はひと時の癒しとなっています。新しいアップデートをお楽しみいただき、すばらしい写真を作成してください。それと同時に、この最新アップデートを皆様にお届けするために、さまざまな状況下で作業を続けている人々のストーリーをご覧いただけると幸いです。

Skylum チームのストーリー

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ソフトウェア エンジニア、Maryna Golovko  

SkylumではWindowsプラットフォームでLuminarの開発および構築をしています。この1か月の間に、私は困難かつストレスの多い状況下で働くプロレベルのマルチタスカーになったと言っても過言ではありません。わずか4週間で、私はウクライナのイヴァノフランキフスク地域、リヴィウ、コシツェ、スロバキア;ブダペスト、ハンガリー;リスボン、ポルトガル;に移り住みました。そして今、私はポルティマンにいますが、すぐにまた移動します。

2月24日の朝、風呂場から聞こえる水の音で目が覚めました。夫がアパートを歩き回り、水を溜めていました。彼は「始まった。」とだけ言いました。私は娘の部屋の窓から、遠くの爆発を目撃しました。私たちの防空施設がロシアのミサイルを撃墜していました。窓の外ではレトロヴィルショッピングセンターからの道路が全て渋滞で埋まっていましたーすでに車で逃げることは不可能でした。私は一日中ショック状態にありました。荷物をまとめることもできず、買い物に行っても何が必要かを考えることができませんでした。

私の名付け親の家で眠れない夜を過ごした後、私たちは家に立ち寄らず何も持たずにウクライナ西部に向かいました。そこではホテルが夕方にはほぼ全てが満室となったので、すぐに電話をかけて部屋を見つけることができたのは幸運でした。ウクライナ西部に1週間滞在した後、家族と離れ離れになる事になりました(男性は国を出ることができません)、私は子供たちと一緒にポーランドに渡りました。ポーランドの人々は私たちをとても暖かく迎えてくれました!彼らは子供たちに暖かい服を与え、私たちに食事を用意してくれました。ポーランドの税関職員は、私たちの車の中に4人の子供がいるのを見て、彼らのために一握りのお菓子をくれました!

ポーランドから直接コシツェに向かいました。私は運転が大好きですが、それでもとても長い道のりでした。しかし、私は子供たちを安全な場所に連れて行かなければなりませんでした。私の両親は私とコシツェの私の2人の子供と合流しました。彼らはアパートを離れたくなかったので、砲撃の中キーウ(キエフ)で1週間過ごしましたが、その後、砲弾が1ブロック離れた家に着弾したため、避難列車に乗る決心をしました。私の両親は65歳で、健康状態はあまりよくありませんでした。しかし、この無意味な戦争のために、彼らは左岸からキーウ(キエフ)駅までタクシーに乗り、すべての検問所を通過するのに3時間費やし、駅で5時間電車を待っていました。そして警報の間に防空壕に走らなかったという理由で待合室に座っていなければなりませんでした。その後、子供を持つ女性だけが乗車を許可されたため、彼らはどの避難列車にもすぐには乗ることができませんでした。その後ようやく彼らは列車の冷たいデッキに乗り、そこで15時間座り通しでウジゴロドに行き国境を越えました。

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コシツェから、ポルトガルに移動することにしました。ブダペスト空港への道のりは長いものでした。最終的に私たちはブダペストで親切なボランティアに出くわしました。彼は私たちに食事を用意し、待合室で夜を過ごさせてくれました。しかし、私は眠れなかったので仕事をしていました。翌朝、私たちはリスボンに飛びました。数日後、ロシア軍は私の家の近くのレトロヴィルショッピングセンターをミサイルで爆破しました。爆風は、真新しいアパートにある私たちの部屋のすべての窓を破壊しました。私たちが1年間かけ細部まで考えぬいて改装を行った新しいアパートに、ほんの数ヶ月前に引っ越したところでした。今は雨と風に加えて、鳩が私たちのアパートにいます。

今月撮影されたスナップショット:

  • 子供たちはタタリフ(ウクライナのイヴァノフランキフスク地方)にいて雪の中で遊んでいました。私たちは彼らに「何をしているの?」と尋ねると、「バンカー(防空壕)を作ってるんだよ!」と彼らは言いいました 「これが一番安全だよ!」

  • 娘は「どうやってこのゲームから抜け出すことができるの?!」と泣きました。(私たちの新しい現実を指して)

  • 私たちがキーウ(キエフ)から運転していたとき、高速道路の真上で戦闘機が私たちの上空を飛行していました。地獄のように怖かったです。

  • この状況の中で1週間後に息子の3歳の誕生日を祝わなければなりませんでした

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インフルエンサーマーケティング マネージヤー、Valerie Kryshchuk 

通常、私は世界中のインフルエンサーと協力してLuminar Neoの宣伝をしています。YouTubeとInstagramでキャンペーンをして下さる新しいクリエイターを発掘しています。戦時下では私は危険な地域で行き場のないSkylumersが都市を離れて新しい家を見つけるのを手伝っています。

2月24日に戦争が始まったとき、私はキーウ(キエフ)にいた何百万人ものウクライナ人と同じ様に爆発の音で目覚めました。その朝、私は夫と2匹の猫と一緒に防空壕で何時間も過ごしました。それから、前夜にハリコフに車で行き、午前5時にロシアのミサイルを目の当たりにした19歳の弟から電話がありました。ウクライナ西部からハリコフまで車で12時間の運転後、彼はそこで夜を過ごすことになっていたのですが、爆撃のために変更し避難中の人々の交通渋滞に巻き込まれ20時間を費やしました。彼はその日キーウ(キエフ)を通り過ぎ、私と夫の家族の避難を手伝ってくれました。その夜遅く、私と夫、夫の母親、妊娠中の彼の妹とその夫、そして2匹の猫と2匹の犬が私たちが今日もいる西ウクライナに到着しました。私たちは働き続け、そしてウクライナを支援しようとしています。現在の私の仕事場は実家のソファから移動し、街から30 km離れた村にある祖父の小さな農場で鶏や豚が外にいます。

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マーケティング ジェネラリスト、Bogdan Vasiliev 

私は弊社の主力製品であるLuminar Neoのマーケティング担当です。製品、エンジニアリング、サポートチーム、およびその他のマーケターと協力して、より優れた製品および写真編集体験をユーザーに提供しています。

私はキーウ(キエフ)に残りました。戦争はウクライナ全土を覆ったので、国のどの地域でも安全と感じる事がないからです。私は故郷を守るためにとどまりました。最初の数日間、私はいわゆるサイバー部隊の様なものに加わりました。Skylumで働く前は様々な政治団体と仕事をしていたため、多くのソーシャルテクノロジーを知っています。友達と一緒にできる限りのことをしようとしました。しかし、ロシアのプロパガンダが異常なレベルに達したため、情報戦争でそれに打ち勝つ事はとても困難です。ロシアにいる私の親戚にさえ何も効きません。私の叔父のお父さんは彼の息子の話を聞くことすら拒否しました!彼らはもう話しをしていません。しかし、私たちはあきらめていません!ロシアの人々に責任がないとは信じてはいけません。みんなただ傍観しています。彼らは戦争を支持しているのです。

その他アパートに閉じ込められたままの動物たちに餌をやっています。多くの人が突然の攻撃に驚き、動物の世話をすることができなくなったため、彼らを救う必要がありました。一部の飼い主は、わざとペットをアパートに残して他の地域へ避難しました。これは戦争の醜い部分の一つです。私は動物園パトロール団体の近くに場所を見つけて動物のための避難所を組織し、そこにすべての動物を連れて行く予定です。街の中を動き回るのは危険ですが、動物を死なせてしまうのは胸が張り裂けます。

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マーケティング コンテンツ マネージャー、Olga Salkova 

私は現在、ルーマニアのブカレストにある友人の家で仕事をしています。私はコンテンツマネージャーとして、メール、バナー、動画など、あらゆる種類のマーケティング資料の制作を担当しています。私の通常の仕事に加えて、同僚とその親類がウクライナを離れて国内と海外に滞在するための交通手段を見つけるのを手伝っています。私は物理的には安全な場所にいますが、故郷が戦争をしている中で精神の安定を保つのは難しく、精神的にはかなり辛いです。

戦争が始まったとき、夫と私はスリランカで休暇を過ごしていました。帰りの飛行機はキャンセルされましたが、とにかく故郷の近くまで飛行機で移動する事にしました。アラブ首長国連邦、そしてブカレストを通り、なんとかここまで辿り着きました。南国の島で平常心を持って過ごせなかったので、快適な環境だったにもかかわらずスリランカを離れることにしました。最初の数日間はとても辛かったです、妹と母親がウクライナからモルドバの国境を越えている間、常に居場所を確認していました。スリランカには素晴らしい時間を過ごし続けている多くのロシア人がいました。彼らの一部は彼らの国の戦争を支持していました、しかし多くの人はただ気に止めていませんでした。私たちは家族の事を思って口論する事を避けました。私の父と夫の両親、そして私たちの猫はまだキーウ(キエフ)にいます。私たちの親しい友人の多くがそうであるように。この悪夢を終わらせて家に帰りたいだけです。

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シニア アフィリエイト マネージャー、Yasia  

24日の朝、母からの電話で目が覚めました:「ヤシア、戦争が始まったわ」。夫と私は最低限の物と猫のジャッキーを連れて、キーウ(キエフ)から50キロ離れた小さな町に行き親戚と合流しました。大きな都市から離れることで、直接の軍事攻撃を回避できることを期待していました。しかし、2日目にはそれが間違いだと気づきました。

戦争の2日目から、装甲兵員輸送車、戦車、トラックなどの敵の軍が家のすぐ外を走っているのが見えました。数日後、活発な軍事攻撃が始まりました—爆発、銃声、グラッドロケットが聞こえました…私は初めて空襲警報の音を聞いたのを覚えています。とても怖かったです。私は両親にもう二度と会えないかもしれないと思い、彼らに電話をして愛しているとを伝えました。

戦争の5日目に、電気の供給がなくなり、インターネットと携帯電話も繋がらなくなりました。この時が一番辛かったです。愛する人に連絡して生きていることを伝えることができませんでした。夫と一緒に地元の教会の鐘楼に行ったのを覚えています。それは町で最も高い所にありました。そこで携帯が繋がり、親戚や友人に大丈夫だというメッセージを送ることができました。私にとってそれは戦争が始まって以来最も幸せな瞬間でした。

その後、状況は悪化し始めました。ロシア兵が私たちの町を占領しウクライナの旗を降ろし、民間人を銃撃して回っていました!私たちの隣人は、自分の家の中庭にいる時に機関銃で射殺されました。それが私たちの限界点となりました。夫と私は何とかしてこの地獄から抜け出す事にしました。翌朝、敵の軍隊が通り過ぎた後、私たちは車に乗り込み出発しました。それがどれほど危険であるかは理解していましたー5日間インターネットや電話が繋がらなかったため、町の周りで何が起こっているのか、どの道が安全かわかりませんでした。ありがたいことに、文字通り出発して10分後に私たちはウクライナの検問所を見つけたのは幸運としか言えません。チェックポイントの人たちは、どの道路が最も安全かを教えてくれました。私たちは500キロを一度に走り抜きリヴィウに到着し、数日後にクレメネチに向かいました。

私の心は砕けていました。私の両親はまだキーウ(キエフ)にいます。私の親戚や友人は皆、国内外に散らばっています。戦争が終わって皆んなをこの手に抱きしめる事ができるのを本当に楽しみにしています。

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デザイナー、Juliy Dzhereleyko 

Skylumで2年約9か月働いています。戦前はデザイナーとして働いてあらゆるビジュアルを制作し、余暇には絵を描いたり、音楽を作ったりしていました。今は家で仕事をしていますが、もう絵は描いていません。また、ボランティア大隊の仕事もしています。私は今、ウクライナ西部のイバノフランコフスクにいます。ここは穏やかです。たくさんの人がいて、店舗等は午後8時まで開いています。私は2月26日にキーウ(キエフ)から列車でリヴィウに行き、その後ここに来ました。友人と私は、カルパティア防衛本部のボランティア大隊に登録しました。私たちはイバノフランコフスクの街でのみ活動しています。私たちはあらゆる分野で訓練を受けています。地方自治体や駅の近くの検問所で警察と一緒にパトロールすることもあります。困難な上、人生でこのようなことをすることは思いもしませんでしたが、国を助け、人々を守ることが出来るのは嬉しいです。

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QA責任者、Taras Zemlyankin  

私はSkylumでQA責任者をしています。あらゆる種類の製品テストを整理し、それらを実装するための最良のアプローチを見つける責任を負っています。また、重大なエラーがアプリケーションに発生するのを防ぐために、あらゆる種類の工程を設定します。これらの全ては弊社の製品をこよなく愛し、常にこれらの製品をより良くして、ユーザーに喜んで貰おうと自分の自由時間も費やす10名で構成される品質保証チームの努力のおかげです。

昨今は私は常に4人の子供たちが立てる騒音を背に仕事をしています:悲鳴や叫び声、ケンカ、泣き叫び、そして絶え間なく質問をしてきます。さらに、これらの子供のうち3人は、「お父さんが働いているので邪魔をしない様に」という文章をまだ理解できません。このような状況下によって、管理スキルが試され、十分な忍耐力と効率的に会話する能力がつくと共に、組織管理、人事管理、喧嘩解決のスキルを「磨く」ことのできる、厳しいけれど効果的な場所になり、お互いに良い結果につながります。しかし、せっかくのこれらの学習の機会にもかかわらず、私は100%集中して仕事に専念できるオフィスがとても恋しいです。

戦前、私は妻と4人の子供と一緒にイルピンの近くに住んでいました。戦争の初日、私たちは何が起こっているのか理解できませんでしたし、信じられませんでした。しかし、爆発に対する子供たちの反応が私を現実に引き戻しました。荷物をまとめて車に乗せ、親戚が住むチェルニウツィー地方に向かわせてくれたのは妻でした。私たちのヒュンダイアクセントセダンはこれだけの大人数を乗せるには向いていなかったので、夜に出発して朝にたどり着くことにしました。子供たちが寝ている間に夜に運転することでなんとか可能になりました。しかし、チェルノフツィへの行程はひどい交通渋滞でコーヒーを飲みながら立ち往生していることが多く、2日半もかかりました。これを一人で行う場合はさほど問題ありません。しかし、4人の子供(うち3人は5歳以下)と一緒の場合、気が狂いそうな本当の試練となりました。そして子供たちが眠っている間は、少しでも運転を進めようと自分が睡魔と戦っている間ですら安らぎの時間となりました。

私たちは木曜日の夜に出発し、日曜日の朝にチェルノフツィに到着しました。そこで数日間過ごし、その後さらにルーマニアとの国境まで1500kmを運転し、ウクライナとルーマニアの国境で10時間待ち、ルーマニアとハンガリーの国境で4時間待って、最終的にポーランドのグダニスクに到着しました。このような状況で「正しい」ことが何であるかがわかりませんでした。子供たちの安全を守ることだけが私たちの目標でした。今、私たちはグダニスクにいます、そしてSkylumは私たちがここでアパートを借りる手助けをしてくれました。爆発はなく、ロシアのファシスト、略奪者やレイプ犯もいません。物理的には安全です。しかし、私たちの心は虚しく、ただ家に帰ることを切望しています。


これらは私たちのチームからのほんの数話です。戦争が生活にどう影響したかについてはウクライナ人それぞれのストーリーがあります。ご覧いただきありがとうございました。そして暖かなご支援、ご寄付に感謝いたします。ウクライナと共に!

Skylumのチームメイトからの悲痛な実話はもっとあります。それらへアクセスしウクライナで何が起こっているかについて共有されたい場合は、[email protected]より、コミュニケーション責任者のAnna Kovalまでご連絡ください。





 





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